2011年1月9日日曜日

政府による科学技術への関与はどうあるべきか。

 年末にたまたま、Ustreamで以下の番組を眺めていた。

「現代ビジネス」年越しエコノミスト大討論 「2011年、日本経済はどうなる?」

 詳細は眺めていただくとして、わたしが気になったのは国の関与の部分。この対談の中では国が成長戦略を定めることによって経済成長するのだというモデルに対しての批判が多々あった。そんなものは所詮役人の拡張主義であり、成長に結びつくわけがないといった調子である。

 わたしは前々から同じような心配を科学技術の分野に対して感じているところである。国が重点分野などを定めて大規模研究プロジェクトを企画することが、日本の科学技術の発展に本当につながるのかということである。多くの方がご存じのとおり、失敗の例には事欠かない。たとえば「タンパク3000プロジェクト」。たとえば「情報大航海プロジェクト」。

前者については「ウコンやしじみで酒に強くなるわけねーだろバーカ」社長のブログさんの以下の記事が参考になる。

日本では3千種類のたんぱく質の構造と機能を研究する「タンパク3000」が2002年に始まった。たんぱく質の研究は確かに必要だが、具体的な目的、なぜ3000種なのか、どんなたんぱく質を調べるのかについての科学的検討のないまま始められ、5年間で578億円という巨額の費用を使って昨年度終了した。高価な機械を大量設置し、3000という数はこなしたが、薬品産業や医療に結びつく成果は出ていない。「明らかにされた基本構造は全体の5%だった」「重要な膜タンパクがほとんど扱われていない」などの評価がプロジェクト後に発表されたが、これは開始前や中途に検討すべきだ。
米国では必要性や実現可能性を検討するが、日本ではそれらなしにいきなり大型プロジェクトが開始され、評価が生かされずに次に進んでいく。
税金の投入や成果も問題だが、そこに大勢の若者が投入されることも気になる。これでは科学の本質を深く考える科学者が育たない。学問と社会の行く末を見つめ、難しさにたじろぎ、悩みながらも重要な課題に挑戦するのが科学者である。
プロジェクトの必要性は認めるが、本来研究は個人的なものであることを忘れてはならない。このままでは10年先が怖い。

「ウコンやしじみで酒に強くなるわけねーだろバーカ」社長のブログ:今日の朝日新聞朝刊の中村桂子さんの「私の視点」について

 これは、中村桂子さんが朝日新聞に寄稿した文章を上記ブログが要約したものの一部を引用したもの。日本における大規模プロジェクトの問題点は以下のとおりにまとめられるだろう。

・目的の科学的検討なしにプロジェクトが開始されてしまう
・巨額の税金を投入するにもかかわらず芳しい成果が出ない
・終了後に成果の検証が行われない
・若手研究者の将来を翻弄する

 上記記事で素晴らしいのは、その後に続く大型プロジェクトがいかに企画され、政策としての実現していくかを説明した部分。実際に現場におられた方らしく、非常に詳細でかつ分かりやすい。

1.政治力のある科学者が「この研究が必要です」と役所に陳情に行く
2.それをもとに、役人が勉強して、資料をつくる(場合によっては研究者がつくる)
3.財務省に説明する
4.財務省がオッケーと言ったら予算化され、プロジェクトが実施できる

 問題点として強調されているのは、執行段階以降での検証がほとんど行われていない点。

また、日本においては予算を取ってくる段階ではそこそこにきちんとした検討を行っていると思うのだが、それを執行する段階以降については検討が非常に甘い。そもそも一度取ってきた予算は全て使い切るのが研究者の役割なので、途中で駄目だとわかろうが何しようが、とにかく全部使い切る。これは年度末に一所懸命必要のない道路工事をやるのとなんら変わりがない。文科省や経産省の役人からすれば「予算は取ってきたんだから、それを全部使い切るのが研究者の役目だ」ということになる。なぜそうなるかって、節約しても何も良いことがないからだ。お金が残れば、財務省に対して「あそこの申請はずさんだ。お金がない今の時期に必要のない費用を計上した」と判断されかねない客観的な事実を提供してしまうことになる。

これは日本のシステムの構造的な欠陥であり、これまでもこれを指摘した人は山ほどいるはずなのだが、なぜか全く改善されない。予算を立てるのは良いが、それを執行する段階においては「いかに節約するか」が重要で、節約することによって評価があがるという評価システムが必要である。

とはいえ、今はそういうシステムがないので仕方がない。もらったお金は全て使う、これが日本の常識である。留意点がこれしかないので、成果がどうなのか、ということは基本的に眼中にない。もちろん一部のマスコミやウェブサイトで「あれは費用対効果が見合っていないのではないか」と指摘されることはあるだろうが、それがその後に何らかの影響を及ぼすことはほとんどない。マネージャークラスの研究者はお金を取れるプロジェクトを企画立案するのが仕事、各省はそれをベースに予算申請を行うのが仕事、財務省はそれらを俯瞰して調整するのが仕事、であって、本気で成果を検討することもなければ、成果を次の予算申請にフィードバックすることもない。要は、みんながみんな、食べたら食べっぱなし、後片付けのことは知りません、という感じである。

 執行段階以降での検証は実質行われていないようなものであり、どのような成果が挙がったのかということが問題になることもなければ次の申請にフィードバックされるということもない。かくして、無数のプロジェクトが絶えず立ち上がり、国民の税金が無駄にたれ流されていくことになる。これが現実である。
 このような指摘は上記ブログに限らず少なくないにもかかわらず、いわゆるアカデミアの世界の中で国が成長戦略を定めるという点についての批判はそれほど見られない。お上からもたらされる金が将来の発展に結びつくのかといった検証もなしに、いまだに単に金が振ってくることに対して無邪気に喜んでいるばかりである。土建屋の社長が公共事業に反対するわけがない、といった現実的な答えはあろう。しかし、関係者の方々が一般に有識者とされる人々であることを考えると、あんまりの体たらくではないかと嘆息せざるを得ない。

 予算が減らされるよりは、増える方が良いに決まっている。しかし、目先の金だけではなくて日本の研究界が今後発展していくためには、どのような政策が望ましいのかという点についてもそろそろ考える必要があるのではあるまいか。大規模プロジェクトとはいえ永遠に続けられるわけではない。そして、その規模が大きければ大きいほどに終了した後の影響は大きい。たとえば任期付で雇われている研究者は、その後の受け皿がなければ途端に彼らは路頭に迷うことになってしまう。このような行き当たりばったりな状態であれば、優秀な学生は研究者というキャリアパスに率先して進もうと思わなくなるだろう。
 また、多額の税金を使って何の成果も挙げられないということになれば、国民からの理解も得られないことになりかねない。幸いなことに、大学などでの研究に対しての国民の支持はまだある程度存在する。首相のわがままという無茶苦茶な理由で400億の税金が費やされることが報道された際にも、世間はむしろ好意的であった。しかし、これがいつまでも続くとは限らない。上記に例に挙げたような失敗プロジェクトを立て続けに生み出しているようであれば、いつの日かこの世論がひっくり返るという可能性もある。

 どうあるべきかという部分については多々意見があるところではあろうが、何よりも必要なのは「プロジェクトの結果がフィードバックされる仕組み」を導入することだろう。その一つの提案として、国が補助した研究費に関しては研究者がどれほどの予算を費やしてどれだけの成果を挙げたのかということを一括で確認することができるような場所があると良いと思う。そうすれば何らかの別の研究費の審査の際には、有無を言わさず過去の業績を見られることになる。一般人も閲覧できるようにすれば研究者同士での庇い合いもある程度抑止することができるのではないか。


 基礎的な研究は直接的な利益に結びつくわけではないため、経済の話と同列に捉えて政府による関与を一切なくしてしまうなどということは現実的ではない。かといって、現状のさまざまな問題をそのままにしておいて良いわけではない。現状の問題点に対して関係各者が議論を深め、政府による科学技術政策への関与のあり方について考えていく必要があるだろう。


 今回指摘した大規模プロジェクトとほぼ同様の構造で研究機関に影響を与えているのが大学改革支援関連の予算で、これについてもわたしは懐疑的である。これらは政府の監視を強め、研究機関の自発的な改革への意欲を失わせるものでしかないとすら思う。この件についてはまた今度書いてみたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿